山本元帥記念館 〒940-0056新潟県長岡市呉服町1丁目4−1 TEL0258-37-8001 FAX 同じ
山本元帥景仰会 〒940-0065新潟県長岡市坂之上町2丁目1−1
長岡商工会議所内
TEL0258-32-4500 FAX0258-34-4500
(駐車場)
 普通車6台、大型バス1台
 他に臨時駐車場有り
山本記念公園          
公園内には、山本五十六元帥の生家
が復元されている。
中央部に位置する胸像は、昭和23年
霞ヶ浦の湖底に沈められていた胸部を
元帥景仰会が、元帥郷土の故をもって
もらいうけ、ブロンズ像に鋳直したもの
が設置されている。

日本互尊社(如是蔵博物館)
互尊文庫を創設し、学校、社会教育など
の公共事業に力を注いだ実業家「野本
恭八郎」をはじめ、長岡出身の偉人の遺
品や資料などが展示。
山本五十六専門コーナーもあり、偉人た
ちの心にふれることができる。
入館料:大人200円(予約必要)


駒形十吉記念美術館

故駒形十吉氏が人生の後半に於て、折
りに少しずつ収集し愛蔵してきた日本画
洋画、陶器など選び抜かれた巨匠の作
品を公開している。明治以降の国内作家
に限定して収集。
数々の珠玉の作品をご鑑賞できる。
入館料:一般300円、団体250円
     大学・高校生200円
     中学・小学生100円
 《主な展示内容》

◆高野五十六の誕生
   生家高野家の歴史。家族、恩師、友人との交流。

◆山本五十六となる
   長岡藩風。長岡の歴史・風土。旧藩家老・山本帯刀家
    の継承、結婚。


◆世界をめぐる
   駐在武官、国際会議などを通して身につけた国際的視
    野。外国でのエピソード。


◆誠意と慈愛
   多くの人々に愛された人間性。

◆平和を求めて
   海軍軍縮条約の締結に努力。三国同盟に徹底的に反
    対。


◆連合艦隊司令長官
   アメリカの国力、国民の気性を切り抜き、早期講和をの
    ぞむ。


◆いまに生きる山本五十六の心
   その「人となり」を知り、未来に伝える。
   (このコーナーは展示品がかわります)

館内展示コーナー
海軍一式陸上攻撃機左翼部分
山本五十六長官坐乗の椅子
長官搭乗機の左翼
連合艦隊司令長官山本五十六ら11名が搭乗した海軍一式攻撃機の左翼部分。この機には山本のほか副官福崎昇、軍医長高田六郎、参謀樋瑞久利雄が同乗し、機長小谷立以下大崎明春、田中実、畑信雄、上野光男、小林春政、山田春雄の乗員がいた。
昭和18年4月18日午前7時30分すぎ、ソロモン諸島バラレ島におもむく途中、アメリカ空軍の戦闘機の襲撃をうけ墜落し、全員が戦死した。
昭和59年(1984)2月山本五十六の生誕100年を記念して、山本元帥景仰会は、ブーゲンビル島のジャングルをたずね、搭乗機の残骸を前に慰霊祭を行った。
その後、パプアニューギニア政府の厚意により平成元年〈1989〉年、左翼の里帰りが実現した。

軍艦長門の作戦室での山本五十六
長岡出身で小山正太郎の不同舎門下の高村眞夫が昭和19年(1944)に制作した油絵。
風貌は昭和9年。ロンドン軍縮会議予備交渉に出発する直前の海軍少将当時の写真による。
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                     山本五十六記念館 編著
                
昭和18年4月18日、ジャングルに消えた最期の搭乗機・・・・・・・。
その翼が46年の長い歳月を経て、故郷に還ってきた。

1984年2月、山本五十六の生誕百年を記念して、長岡から初めての調査団が、終焉地ブーゲンビル島に派遣された。
大密林下で調査団が見たものは、朽ち果てた姿の山本長官搭乗機の残がいだった・・・・・・・。

                 定価(本体1600円+税)
                 恒文社発行
開館時間 午前10時〜午後5時
入館料 大人(高校生以上)・・・・・500円
中学生・・・・・・・・・・・・200円
団体割引:20名以上
大人(高校生以上)・・・・・400円
中学生・・・・・・・・・・・・150円
休館日 年末年始12月28日〜1月4日まで
展示替えのため、臨時休業させていただくことがあります。


「誠意と慈愛の人」人間、山本五十六の生涯を辿る
 明治17年(1884)、儒学者の家系に生まれた高野五十六は、聡明で、中学の頃からベンジャミン・フランクリンを尊敬、猛勉強するなど広い視野をもっていた。
 旧長岡藩家老・山本帯刀家を継ぎ、旧会津藩士族の娘と結婚。
 文武両道、質実剛健、常在戦場の長岡らしい精神に磨きがかかる一方、石油や航空に早くから注目。リンドバーグの大西洋横断にも触発され、特に航空の重要性を力説。太平洋戦争開戦時、その先見性を世界に実証した。
 開戦にはあくまでも反対だった。「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と、わが身の危険を省みず、日独伊三国同盟に断固反対した姿勢は、人々を愛し、郷土を愛し、慈愛の心を強く保っていたからこそである。
 だが、その意に反し連合連合艦隊司令長官として未曽有の大戦争の指揮をとった。
 昭和18年(1943)ブーゲンビル島で戦死。激動の世紀に、しなやかかつ強い心で生きた山本五十六の人間性を、21世紀に語り伝えたいと願う。

                                 山本五十六記念館